好きだ、ファミマ
ファミマのアプリ、ファミペイを入れていると定期的にクーポンが届く。
50円引き、100円引き、200円引きなどの割引クーポンだけじゃなく、たまに無料クーポンが届くこともある。
ありがたい。ファミペイ。
過去にファミマでお酒を買ったので、なんとロング缶の無料クーポンなんかも届く。
すごいぞ。ファミペイ。
こういう無料クーポンは要するに、お店に来るよう仕向ける呼び水みたいなものだと思う。具体的に言えば、お酒のクーポンを配布して、おつまみを買ってもらうという感じ。
でも、私は堂々と無料クーポンだけを使って店を後にする。
無職は金がない。おつまみなんて無しに、すきっ腹にハイボールロング缶。これよ。
翌日に響いても問題はない。響いて困る職がない。
ついでに無料クーポンはセルフレジでは使えないので、店員さんにレジをしてもらう必要がある。
無料でお酒だけをいただいてそのままお店を出るのを恥ずかしがる人も中には居るかもしれません。
しかし、私の足取りは軽い。なぜか。無職でお金がないのにロング缶がタダで手に入ったからだ。
無料でお酒が飲める喜びと、恥の概念。天秤にかけるまでもない。
その他にも、なんでかは分からないけど期間限定ポイント100円分とかももらえる。
コンビニに100円以下で買える商品なんてあるの?と思われるかもしれないけれど、店内を探せば結構ある。
ボールペンなんかは税込み100円だし、駄菓子コーナーにはブラックサンダーなどの個包装駄菓子が置いてある。
あとは、運よくクーポンが同時発行されていれば、安いデザートなんかもいける。
実際、本日わたくしは、クーポン+売れ残りの値引き+期間限定ポイントを利用して、無料でバームクーヘンを入手いたしました。帰り道、嬉しすぎてにやにやしちゃった。
無職になってから、感情が豊かになった気がする。
しかもそれが、結構「楽しみ」ゲージに振られているのを実感することが多い。
使えるお金が減った途端、日常で頭を使う機会が増えた。
なんせ予算がない。計算せずに買うことがまずなくなった。
こうなってくると、もう生活がクリアすべきゲームと化すらしい。
それが結構楽しいのだ。
値札すら見ずに買っていた時代より今の方が充実しているし、持っている持ち物が全て必要なものというのは、なんとも軽やかな気持ちになる。
そんなつつましくも豊かな生活を支えてくれているファミマ。
うちから徒歩30秒の場所に存在してくれてありがとう。
好きだ、ファミマ。
コンビニジムの需要
最近、低価格で「普段着でも行ける」と謳った気軽なジム、いわゆるコンビニジムが流行っているらしい。
タイパという言葉が広く使われる時代に、普段着でいつでも行けるというコンセプトは、なるほど合致しまくっている。
普通のジムって、やれ着替えだなんだとちょっと手間のかかるイメージが確かにあるし。
で。
そういった利便性の高い部分ともうひとつ評価されているところがあるらしい。
それが『他の利用者がやる気がなく、休憩ばかりしているところ』だそうな。
なんでも、意識の高い人が視界に入るとそれだけでげっそりしてしまうという人が結構居るらしい。
だから、自分と同じくらいのテンションで、なんとなーく、ゆるーく運動しているのか休憩しているのか分からないくらいの人の方が落ち着く…ということだそうな。
えっ!そうなの!?
これらは、私の思考の中にない価値観だったので本気でびっくりした。
私がまだ病気でもなく無職でもなかった頃にジムに通っていたけれど、まわりの人たちがもくもくと鍛えているのに励まされていたし、すっきりとした肉体美を持っている人たちは憧れだった。
だらだらしている人は、私が通っていたジムでは見たことが無かったけど、そんな人が大半だと元来怠け者な私は影響を受けてサボってしまいそうだ。
そう考えると、まわりがみんなゆるーい感じでも運動を習慣にできる人はすごいと思う。
ついでに、運動そんなに好きじゃないし、頑張ってる人を見ると疲れるとまで思っている人たちが大勢ジムに行く時代なんだな、とも思った。
いろんな場面で身軽な選択肢が増えていて、昭和から生きてる化石からすると、令和は随分と風通しのいい時代だ。
あと、その記事では「ジムに行く人は、筋トレが好きなんじゃなくて痩せたいだけで、できるなら筋トレはしたくないと思っている人が大半」とも言っていた。
えっ!そそそうなの!?
筋トレにハマって、宅トレの負荷では物足りずジムに行きだした私は少数派だったようだ。
でも…楽しくないですか、筋トレ。
筋肉痛になると…嬉しいじゃないですか。ねぇ?
ウエストも平たくなって肩こりも解消されて姿勢までよくなるんですよ…?
記事を見て、動揺しながらパートナーに聞いてみたら、さも当然の顔で「筋トレは楽しくないよ」と首を横に振られた。
多様性の時代を生きている意識はあったはずなのに、やはりまだまだ自分の価値観で生きているということを思い知らされることがある。
はー、なるほどなーと思うこの感覚は嫌いではない。
新しい価値観に触れるのは何歳になっても刺激的で楽しい。
むしろ、30を超えると自分の中の凝り固まった価値観にはない、違う形の価値観に触れることが多くなったという実感がある。
そこに触れた時に「はー、なるほどなー」と思える感性は無くしたくない。
否定も肯定もせず、まずは受け止める。
それが大人の柔らかさなんじゃないだろうか。
台風って来るんだ
朝、目が覚めて最初に気付いたのが、風の音。
コウコウと甲高い音がどこからか聞こえてくる。
それに交じって、ちょっとだけ雨音。
どっちもうるさいって程じゃなくて
「なんかいつもは聞こえない音が聞こえる…」くらい。
カーテンの隙間から見える窓の外は、音から受けた
印象よりも荒れ模様で、お盆シーズンで一台も車の無い
企業用の駐車場にうっすらと溜まった水は、激しい風で
波打って見えるほどだった。
あ、台風って来るんだ。
ちょっとびっくりした。
30年以上生きてきて、台風には何度も出会っている。
なにも初見だから驚いたわけじゃない。
本当に来たことに驚いた。
無職な上に病気のせいで、人生ほぼリタイアしてる私は
台風だろうが最高気温が39度だろうが、まぁ言ってしまえば関係ない。
だって、家から出ないんですもの。
今の生活で私に直接関係してくる出来事は、あまりにも少ない。
自由に選択できることも少ないし、刺激も少ない。
日々「死なないことが目標です」くらいで生きていると
台風が来るということも「えー!本当に来ることもあるんだー!」
というサプライズ性を感じてしまう。勝手に。
台風って、どちらかと言うまでもなく、来ると困るし
危ないし、やっかいな存在だと思う。
だけど今の平坦な生活の中では、そんな厄介者でも
ちょっとした味付けとして、そこはかとない風味を
味わわせてくれるみたいだ。
無職&病気生活も半年を越えると、気候すらエンターテイメントに
なるんだと思うと、このままではまずいという焦りを感じる。
もし私が「最幸の志事は生きること、顔晴ろう!」とか言い出したら
そこが私の感受性の寿命だ。
遠慮せずに本体の方も息の根を止めて欲しい。
初日の日記から、物騒な締めくくりになってしまった。
おわり。